会員NO114 鈴木香子
NYマラソン参加の決意
「私の場合、どんなに努力しても、走るのだけはダメみたい」小学生の頃からこんな風に思ってきました。でも、昨年は当会に入会して合宿にも駅伝カーニバルにも参加しました。「少しずつ苦手なことを克服してみよう」そんな風に思っていました。
昨年の望年会での三次会の時、柏さんが「還暦の自分へのご褒美に、ニューヨークシティマラソンを走りに行く」という話をしているところに偶然居合わせ、乾さんに「行ってみよう!」と背中を押されて、本当に行ってしまうことにしてしまいました。「いつかフルマラソンを走らなければ、マラソンを続ける意味はない。あと11か月あるし、ひょっとしたら何とかなるかもしれないな。だいたい‘走るのが大の苦手な私’が、フルマラソンなんて走っちゃったら、面白い人生が待っているに違いない。」と思ってしまいました。そしてすぐ柏さんにメニューを作ってもらい、シューズを購入し、トレーニングをスタートさせました。
トレーニング開始
最初は時間走でした。30分走・40分走、たまに60分走・70分走。3月からは距離走になりました。5km走をベースに10km走。4月には15km走、5月には20km走、7月には25km走と、だんだん距離を延ばしていくのでした。
昨年初めて“LSD”という言葉を知った私ですが、それに対抗(?)して、“NYM”という言葉を作りました。“ニューヨークシティマラソン”の略です。2月末から井川奈々子さんと旅行会社の選定を始めましたが、その時にカタカナを入力するのが面倒くさいため、頭文字をとって縮めました。(その後井川奈々子さんは仕事のため参加できなくなりましたが、ご協力には大変感謝しています。)
5月、お世話になる旅行会社が決まりました。鈴木教義さんご紹介の双日ツーリストさんに決定しました。さらにオプショナルツアーでナイアガラの滝に行くことも決定しました。
7月に新しいシューズを二足も購入、その他シャツなどのグッズをたくさん買いました。そんな風に選ぶのも、楽しみの一つですね。昨年よりも6kg痩せてサイズダウンしたため、何でも着られるようになり、右から左へ欲しくなって困りました。夏はかなりの出費でした(笑)
4月から7月にかけて20〜25km走を4回ほど走っていたので、8月の合宿では「これなら30kmは大丈夫だろう」と確信しました。そして9月には30km走で、同じくNYM参加・杉本康幸さんのご自宅の方(同じ町田市民です!)まで走りました。その頃には20kmまでは自分のペースを守って走れるようになっていました。「フルマラソンを完走するためには、30km走が効果的なんだよ」と、鈴木教義さんから教えてもらいました。(『ランナーズ』にそのような掲載記事があると聞いたのでその後購入しました。)30kmを走ったので完走する自信がつきました。(鈴木教義さんには大変お世話になりました。今後ともよろしくお願いいたします。)
(ゴール予想タイムの募集)
10月、グローバルフェスタ・チャリティーランの時、また鈴木教義さんからある日経新聞の切り抜きを読ませてもらいました。それには、「1km8分のペースで、ゆっくり走って早くゴールしよう」という内容が書かれていました。試してみましたが、とても良い調子でした。「よし。この作戦でいこう!」と内心思いつつ、私の初マラソンのタイム予想募集をしてしまいました。こうすることで、絶対完走するんだと、自分に厳しくするためでもあったのです。皆様応募いただきまして、またご協力いただきまして、ありがとうございました。
【皆さんの予想】 (17名の方、ありがとうございました!)
大村理紗さん | 4時間30分 | (ご自分の目標なのでは?) |
矢崎芽生さん・平田恵子さん | 5時間 | (そんなワケ、ありません!) |
井川奈々子さん | 5時間15分 | |
渡邊利美さん、堀川真由弥さん | 5時間30分 | (期待してくれてありがとうございます!) |
國廣貴朗さん | 5時間55分 | (ひょっとしたら、と思いました。) |
鈴木教義さん | 6時間 6分 | (完全に‘当て’にきています!) |
佐藤夕里香さん | 6時間10分 | (このくらいならいいなあと思いました。) |
峰島秀和さん | 6時間15分 | |
長島美穂さん | 6時間18分 | (かなり真剣ですね・・・) |
中山悦子さん | 6時間20分 | |
石川弥恵さん | 6時間33分 | |
柏 正俊コーチ | 6時間35分 | (私もこの辺だろうと思いました。さすが!) |
戸島幹雄さん | 6時間55分 | (私の性格をよくご存じのようで、) |
佐藤高志さん | 6時間59分 | (だいぶ‘遊ぶ’と思われてたようです。) |
久保正義さん | 7時間 7分 | (だいぶ‘遊ぶ’と思われてたようです。) |
【私の予想】
嶋永誠二氏(同学年ライバル)のフルマラソンタイム×2
+ (√鶴瓶師匠よりは速く走りたいなぁ〜 + √途中ギャラリーと記念撮影するだろうなぁ・・・)
なぜ彼が比較の対象になるかというと、今年3月に行われた武蔵野駅伝の時に一緒に開催された健康マラソンで武蔵野陸上競技場から武蔵野中央公園間を2周するコースを、私が1周走る間に彼は2周走ってゴールしたのです。それ以来、自分のフルマラソンのタイムを予想するたびにそのことが思い出されました。
尊敬する笑福亭鶴瓶さんが2008年のホノルルマラソンで8時間20分台だったこと、私自身この性格なので、途中いろんな人に愛想を振りまきながら走ってしまうことを可能性として‘ルート’で表現してみました。一応‘ここんところ’が理系の証。で、実際はどうなったかというと・・・
NYへ出発〜フレンドシップラン〜レース〜ナイアガラの滝観光
10月30日金曜日の朝、調布に楡井さん柏さんと集合してすずらん号で成田空港まで行きました。午前中に出発し、現地時間10月30日午前10時半、ジョン・エフ・ケネディ空港(NY)に到着しました。完全に時差ボケ状態のまま昼食後、ゼッケンを取りにコンベンションセンターへ。日本企業としてスポンサーにはトヨタとアシックスが参加しており、アシックスの大会公式ショップがあったので買い物もしました。ホテルは7番街にある、かの有名な『カーネギーホール』の斜めに位置する『パーク・セントラル・ホテル・ニューヨーク』。徒歩でセントラル・パークまで5分以内で、タイムズスクエアまで約15分で行ける場所でした。
その日の夜はナイトクルーズ、柏さん楡井さん杉本さんと4人でハドソン川を下りました。マンハッタンの夜景がとても綺麗なので何枚か写真を撮りましたが、その夜景をバックに自分一人の写真も撮ってもらいました。
時差ボケでとても眠かったのですが、自由の女神を真下から拝んでしまった時には4人のテンションは最高潮に達しました。その日眠ったのは12時頃でした。
10月31日土曜日、その日はフレンドシップランでした。私と楡井さんは浴衣を着ました。私の浴衣は、今年米寿になる山梨の祖母が、昭和40年くらいに河口湖在住の叔母のために作った浴衣でした。
楡井さんは浴衣の他に、町娘のようなかつらのお面を頭にかぶり、七福神のお面もかぶり、“祭”と書かれたウチワまで持ってくるという、私なんかと比較にならないくらいの気合いの入れようでした。
会場までバスで移動中、紺色のトレーナーを着た大群に出くわしました。最初は「アメリカ?」と思いましたが、前に大きく“FRANCE(フランス)”と書いてありました。最近はユーロが強いそうで、ヨーロッパからの参加者が多いそうです。
国連本部前に集合し、開始直前までいろいろな国の参加者と写真を撮りました。楡井さんと私の浴衣は二人とも藍色に大柄の花模様で、二人一緒だととても目立って大好評!会場ではモテモテでした。オランダ、アルゼンチン、ニュージーランド・・・他の国からの参加者は‘浴衣の二人’と写真撮影がしたいようで、私か楡井さんのどちらかをまず強引に連れていってからもう一人を呼び、‘浴衣の二人’を両脇に立たせて写真撮影をするので、そこに必ず‘浴衣の二人’は一緒にいなければならないのでした。
いざカメラを向けられて撮影というときにも「ついでに自分のカメラにも、日本の民族衣装をおさめよう」という別の国の参加者がカメラを向けてくるので、どのカメラに視点を合わせたらいいのか迷いました。エッフェル塔のミニチュアサイズを背負った参加者もいました。‘浴衣の二人’がその両脇に立つと、また一段と激しくシャッターが切られました。
そしてセントラル・パークまでの4kmのフレンドシップランが始まりました。私のペースは遅いので、小沼恵里さんが並走してくれました。走りながらもカメラを向けられっぱなしでした。同じ浴衣を着ていても、さすがに楡井さんのペースは速く(って当たり前ですが)、私はかなり遅れてしまいました。セントラル・パークについても写真撮影は続きました。
イタリアのおじさんと赤いTシャツを交換した後、ドイツのお姉さん2人とTシャツ交換をしました。とりわけドイツのお姉さん2人は積極的でした。私の持っていったTシャツは、“虎視眈々”と漢字の書かれた白いTシャツと、大阪・梅田限定の“すぬぅぴぃ(スヌーピー)”とひらがなで書かれた赤いTシャツでした(スヌーピーがたこ焼きを焼いている絵が描かれていました)。
この2枚を見せびらかしていると、まず“虎視眈々”Tシャツを狙ってきたお姉さんと黒いTシャツ(ドイツ語で「ミッテルラインマラソン」と書かれてあります。アシックス製)を交換後に写真撮影。すると、もう一人のお姉さんが「ヘイ、スヌーピー!」と言いながら近寄ってきたので水色のTシャツ(ドイツ語で、シュパルダ銀行シティマラソン、地名はブレーマーハーフェンと書かれてあります)と交換しました。私が「ディスイズ、オーサカー!」と言うと、日独一緒に大笑い!Tシャツは3枚とも速乾性の上等な生地で作られた、とても格好良いものでした。
“ベルリンの壁崩壊”からちょうど今年で20年、彼女たちの世代は元気で積極的なようでした。でもその後、楡井さんが浴衣とメキシコのポンチョを交換したのには、度肝を抜かれました。結局楡井さんは身につけていたもの全てを他の国の参加者と交換してしまったのでした。「楡井さん!大当たり!」私たち6人は大興奮してしまいました。
そして、この日は午後からタイムズスクエアに出かけました。有名なミュージカル『シカゴ』『マンマ・ミーア』『ウィキッド』などの劇場が連なる7番街を徒歩で10分くらい歩くとヤンキースクラブハウスがありました。この日はちょうどワールドシリーズの最中でしたが、まだ優勝する前だったからでしょうか?それとも今年でヤンキースを退団するからでしょうか?松井グッズはほとんど置いてありませんでした。
その正面に『サッポロ』という中華ラーメン屋があったので、その日はそこで夕食となりました。箸でカレーライスを食べている方がおられ、楡井さんと「スプーンを使っていいですよ、って言ってあげたい・・・」などと小声で話していました。私は“ラーメン+半チャーハン”を注文しましたが、さすがアメリカ!ラーメンの麺が日本の1.5倍。だから、“半チャーハン”っていっても普通に茶碗一杯分ありました。食べきれないのでそれを朝食用にテイクアウトしました。他の皆さんはその隣の『いろは鮨』で一人2つずつ、おにぎりを注文してテイクアウトしていました。
いよいよ明日が本番!でも時差ボケで3時間くらいしか眠れず・・・
11月1日日曜日、朝4時に起床しました。例の半チャーハンを食べ、ホテルのロビー集合5時20分。スタート地点へのシャトルバス出発場所に移動して、結局7時前にはスタート地点・スタテン島に到着しておりました。スタート地点待機場所はブルー、グリーン、オレンジの3か所に色分けされていたので、そこで6人で写真撮影をしてからそれぞれのスタート場所へ向かいました。
私と小沼恵里さんと杉本康幸さんの3名はグリーンスタートですが、杉本さんは「WAVE #1」でスタート時間が一番早いため(9時40分)、別行動でした。待ち時間が長く、スタート90分前までに荷物を預けなければなりませんでしたが、恵里さんとグリーンスタート地点で待機しながら、日本とは違ういろいろなモノを見て楽しんでいました。
日本人はほとんど見かけなかったのですが、スポンサー効果なのか、それとも加納由理出場効果なのか、アナウンスの言語は英語、フランス語、イタリア語、スペイン語・・・それに日本語でした。ホッとしました。
コーヒー・紅茶・ミネラルウォーターは飲み放題。日本でもおなじみの“パワー・バー”とベーグルが配られていました。「アメリカ人の朝食って、ベーグルなんですね。でもやっぱり日本人はご飯ですよね!」今回のツアーでのサービスとして、ホテル側から“おにぎり弁当”が参加者全員に配られました。私達はベーグルをもらわずに、そのおにぎり弁当を食べていました。しかも手が汚いと思ったので、一緒についていた割り箸を使って食べていました。(その割り箸の紙の入れ物にはなぜか“日本”と書いてありました)
すると、隣に座っていたフランスの、‘あの’紺色のトレーナーを着たおばちゃんがカメラを向けてきました。「あれ?一緒に撮りたいのかな?」と思ったのですが、私と恵里さんの二人を撮影。「あれ?なんで?」と言うと恵里さんが「それだよ」と私が手に持っていたものを指差しました。どうやらフランスのおばちゃんは“米の塊を箸で食らう民族”をカメラにおさめたかったようでした。ここで恵里さんと大笑い!本当は初マラソンなので緊張して当たり前なんですが、恵里さんと話しているとそんな緊張感が取り除かれて楽しくおしゃべりができたので、とても助かりました。(恵里さん、ありがとう!)
9時半頃になっても、ベーグルの入ったダンボールはまだたくさん重ねてあったので、配り終わらないようでした。「あれって、あんなに余ったらどうするんだろう?」そんな余計な心配をしている場合ではありません。9時40分に「WAVE #1」楡井さんと杉本さんが、10時ちょうどに「WAVE #2」柏さんと田中さんが、10時20分に「WAVE #3」小沼恵里さんと私がスタート!やっとここで、私の初フルマラソンがはじまりました。
スタートの合図から13分でスタートゲートを越えました(10時33分)。最初はベラザノ・ナロー橋。私は8分ペースでゆっくり行くつもりだったので、恵里さんは先に行ってもらいました。約2.5kmあるその橋の上で横風に煽られながらのスタートになりました。「これじゃあ8分ペースなんて無理だろうな」と思いながら走っていると、トイレに行きたくなりました。橋を越えるとブルックリン。給水とトイレは3マイル目から1マイルおきに設置されているので安心でした。給水は水と“レモンライムゲータレード”の両方がありましたが、私は主に水をもらって飲みました。さっそく3マイル目の、最初のトイレに入りました。
どうやらその辺はメキシコ街だったようで、「メヒコ!(スペイン語で“メキシコ”の意)」という応援が多く聞こえました。「なんか、ポンポン言ってるな〜」と思いながら走っていましたが、“ジャパン”と言われなかったので、振り向きませんでした。「スペイン語で“日本”は“ハポン”って発音するって学生時代に習ったよな?」(私の学生時代にはバルセロナオリンピックがあったため、第二外国語の授業でスペイン語を受けていました。←ミーハー)とその少し後で気付き、「“ハポン”って言ってたんだ!感じ悪い日本人、極東から来たで〜って思われてたらどうしよう・・・」と心配になりました。その途中で昨日一緒に写真撮影をした“エッフェル塔おじさん”に出くわしました。さすがに重そうでした。
私のTシャツの前側には「キョーコ・フロム・トーキョー」とローマ字を切り抜いてアイロンプリントしておいたので、「ゴー!キョーコ!」と応援してくれる方もいたのですが、中には「ゴー!トーキョー!」と応援してくれた方もおられました。「いや、‘東京’じゃなくて‘香子’なんだけどな〜。これで‘京都’なんて書いてたら、なんて応援してくれるんやろ?」とアホなことを考えながら走っていました。
15km付近でお腹が空いてきたことに気が付きました。「そんな〜。楡井さんと同じだけ食べたじゃない・・・」このマラソンでは28km地点でしか給食が無いことを知っていたので、日本から食べ物を持ち込みました。コンビニでよく売っている『一本満足』というバーを2本、『アミノバイタル』の青いゼリー飲料を2つ、『カロリーメイト』を一袋と顆粒状のアミノ酸数袋を所持して走っていました。なんせ最初から6時間は走り続ける覚悟ですから、そのくらい食べるだろうと‘真剣に’思ったのです。「次の橋を渡る前に『一本満足』を1本でいいから食べておかないと」と思ったので食べながら走りました。飲みながら走る技術は無いのですが、食べながら走る技術はあったようです。
食べた後給水所で水をもらって全て飲み込んでスッキリ&満足した瞬間、目の前でマイクを持ったお兄さんに「ウェルカム・トゥー・クィーンズ!!」、その横にいたお姉さんに「ゴー・ジャパン!アリガトウゴザイマシタ!」と言われて「ええーっ!」と驚いてしまいました。一応「ありがとうございました」と答えておきました。「なんで、“ありがとうございました”なん?知ってる日本語、言ってるだけなんちゃうの?」と最初は思いましたが「ニューヨークを走ってくれてありがとう、って意味なんだろうな」と感じました。そこはクィーンズでしたが、ルーズベルト島を下に見てクィーンズ・ボロー橋を渡るといよいよマンハッタンでした。25km付近までは、こんな感じで気持ちの余裕があったのです。あと少しで30km地点ですが、ここから足がだんだん痛くなってきました。15km付近から5km毎に足の曲げ伸ばしをして走っていましたが、結構ピークでした。
28km地点で給食でした。スタート地点では“パワー・バー”でしたが、ここでは“パワー・バー・ゲル”が手渡されました。私はたくさん食べ物を持っていたにもかかわらず、2つももらってしまいました。後で帰国してからホームページでチェックしましたが、2つとも日本では未発売の味でした。一つは“ダブルラテ”、「コーヒーかなんかの味かな?」と想像がつくので安心しましたが、もう一つは“ストロベリーバナナ”。「なんだそれっ?!」と思って早速そちらの方を食べてみました。喉が痛くなるくらい甘い味で「ストロベリーなんだか、バナナなんだかよくわからない」という感想。「がめつく2つももらうから、こんな罰が当たったんだな・・・」と反省。
すると「ニッポン!ガンバッテ!」とお姉さんから声を掛けられて、にっこりしながら「ありがとう!」と答えました。日本人以外の人から“ニッポン”と言われたのはこれが1度だけでした。私のTシャツの両肩と前後にフェルトで作った日本の国旗を縫い付けてあったため日本人だとすぐわかるようでしたが、中には「コリアン!」と韓国人と間違えたお兄さんもいました。この大会では全体的に日本人はほとんど見掛けずかなりの少数派だったようで、私が日本人だとわかると「日本、頑張れ!」と沿道から同胞を無条件で応援してくれました。
32km付近でウィリス・アベニュー橋を渡るとブロンクス。日本の国旗を振っている日本人の集団がいたので近寄っていきました。「香子!オレンジ食ってけーっ!」と差し出されたので、「ありがとうございます!」と言ってオレンジをいただきました。その少し後で、日本太鼓で応援してくれている集団がありました。私は足が痛いにもかかわらず近寄って行って写真を撮ろうとしましたが、「一緒に撮りましょう!」と言ってくださったので、一緒に写ってしまいました。これが走っている最中に自分のカメラで撮影した、自分の姿を写した一枚です。
練習ではそれまで30km走をしていましたが、それ以上走ったことがありませんでした。「35kmまでは歩かない!」と柏さん達に宣言していた通り、35kmまで走りました。25km付近からペースはだんだん落ちていきましたが、30〜35kmのペースは歩くのと同じ速さでした。つま先に血が溜まっているような痛みがあったのです。そしてマディソン・アベニュー橋を渡って再びマンハッタンへ入ると、ちょうどその辺がハーレム、35kmの表示の横から歩きだしました。「ラストの2kmを走るため、今は体力を回復しよう」と考えました。3km歩いて1km走り、また1km歩きました。その間にゴールのあるセントラル・パークへ入っていました。辺りはそろそろ暗くなりだしました。
ちょうど40km地点でぴったり6時間が経過したのがわかると「あと2.195km。すごいな〜ここまで来ちゃったんだ〜。ニアピン賞が出るな!ピタリ賞いるかな?」とのん気なことを考え、最後の足の曲げ伸ばしをすると、再び走りだしました。体力が回復したようで、このラストは少しペースが上がりました。コロンバス・サークルを右に曲がってゴール地点へ。
ゴール直前にゴールゲートを写真撮影しました。ところが、そのためゴールした気分になってしまったようで、時計を見るのをすっかり忘れてしまいました。
それよりも私は急いでいました。スタート前に預けた荷物の受け取りが夕方の5時までで、それ以降は荷物預かり用のトラックがセンターパークの北側に移動してしまうのです。私以外の皆さんはそんな心配は全く無いのですが、私の場合はそうはいきません。「早く行かないと!」そういう気持ちで普通にゲートを通過して“完走メダル”をかけてもらってから気が付いて時計を見たのです。16時54分でした。後ろを振り向きながら、「ゲートから20歩くらいかな・・・数秒しか違わないだろう」と思いました。私のタイムは当初「6時間21分台」だと思っていました。(後で「6時間20分54秒」だと正確なタイムがわかりました。)
ゴール後の写真撮影をして保温シートをかけてもらって荷物を正規の場所で受け取り、ホテルまで歩きました。足がとても痛かったので40分くらいかかったでしょうか。
ホテルに入ると楡井さんはベッドで横になっていました。「ただいまーっ!あれっ?」私は驚きました。声がかすれているのです。私は今回柏さんと違ってハイタッチをほとんどしないで走ってきてしまいました。ハイタッチをするほど速くないし、それよりいろんな外国人(って自分も外国人ですが)からの応援が嬉しく、景色を見て走るのが楽しかったのです。「ゴー!ジャパン!」などと応援されるたびに私は必ず「ありがとう!」と答えて、いや叫んでいました。そのため私の声がつぶれてしまったようでした。
「楡井さん、ごめんね!私の声、篠原ともえみたいにかすれてるっ!」「走ってる最中に、新型にかかったんじゃあないでしょうね!」なんて言われながらお風呂に入った後に日本から持参したシップを6枚も両足のヒザ下にびっしり貼って、完走夕食会(中華料理!)へ。階段を下る時の足の痛さがたまりませんでした。あんなに走ったのにもかかわらず、あまり食べることができませんでしたが、完走夕食会ではかなりホッとして食事をしていました。
私のフルマラソン完走はこんな風でした。涙が出るような感動は無かったです。ゴール後足の痛みを感じながらホテルに帰る途中「荒川はどうしよう」と考えていました。ニューヨークに出発する前に来年3月に開催される『荒川市民マラソン』のフルマラソンにエントリーしていたので、そのことがもう頭にありました。制限時間は7時間なので大丈夫だと思ってのエントリーでしたが、「今度は6時間を切りたいな」と考えていたのでした。これからが本番です。
さてそれでは、『鈴木香子・初フルマラソン、ゴールタイムははたして何時間何分?』の結果です。
★ピタリ賞 中山悦子さん
見事、6時間20分 を予想されました。おめでとうございます!すごいですね〜
★ニアピン賞(なんと2名!)
長島美穂さん 予想タイム:6時間18分
峰島秀和さん 予想タイム:6時間15分
おめでとうございました!そして当ててくれてありがとうございました。3名の方にはちゃんとニューヨークとナイアガラで購入した商品をプレゼントいたしました。
11月2日月曜日、初フルマラソンの次の日は、楡井さんの希望通りナイアガラの滝に行きました。この日も夜中の2時45分起床、4時集合でした。ラガーディア空港からバッファロー・ナイアガラ空港へ飛び、車で国境を越えてカナダに入国しました。天気は快晴で、少し暖かく感じられました。「こんなところまで来てしまった!」と、フルマラソン完走の自分へのご褒美のような絶景で、とても感動しました。そこは‘富士五湖’ではなく‘五大湖’でした。
帰国して、フルマラソン完走のちょうど1週間後、『湘南国際マラソン』が開催されるため、応援に行きました。同学年ライバル・嶋永誠二氏と“合宿以来”お会いしたので、いろいろお話をしました。私のフルは6時間を切ると予想していたそうです。ところが彼はフルを走ったため疲れていたのでしょうか、その日3時間6分台で走っておきながら「僕って、フルマラソン向いてないのかな・・・」と、信じられない事を口走ったのです。「それならなおさら私の方が向いてないぞ!」と元気付けておきました。そして私達も還暦になったらニューヨークを走りに行くと、柏さんの前で宣言しておきました。ということで、2032年、ニューヨークシティマラソンを走りに行きます。現在“アラフォー”の皆さん!一緒に行きますからそのおつもりで!
柏さんと初めて会ったのは2008年の1月中旬で、その頃は走るのが苦手だったのに、現在は走らないといられなくなっています。映画鑑賞が趣味でしたが、今は月に1本見ればいい方です。苦しいけれど、その苦しさを走りながら続ける。走り終えたあと、なんだか至上の充実感を得られること。ニューヨークで終わりにする気なんて全然ありません。ニューヨークが私のマラソン人生のはじまりで、将来は5時間以内でフルマラソンを走れるようになるのが目標です。‘走るのが大の苦手だった私’が、フルマラソン走っちゃったら、本当に楽しく面白い人生が待っていました。皆さんこれからも応援してください!